東国の熱量を届ける

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インタビュー

羊を成田の名産に。
料理人が挑む「地域資源×福祉」が紡ぐ循環の未来

佐藤 達也さん

株式会社ひととして 代表取締役

成田空港という巨大な国際インフラを擁する千葉県成田市。その陰で、地域に眠る豊かな資源が見過ごされている現状に「もったいなさ」を感じ、自ら声を上げた料理人がいる。株式会社ひととして代表取締役の佐藤達也さんだ。東京の名店で腕を磨いたシェフが、なぜ地元で「羊の飼育」と「障害者福祉」を掛け合わせた循環型事業に挑むのか。成田への深い愛があるからこそ描ける、地域産業と暮らしの豊かな未来像について話をきいた。

周囲の反対を跳ね返し料理の世界へ。
激務の中で培われた「自分で決める」意志

――佐藤さんは地元・成田のご出身ですが、どのような少年時代を過ごされ、料理人の道を志したのでしょうか?

佐藤 達也さん(以下、敬称略)
昔から人に流されるタイプではなく、自分の進路や大事な決断はすべて自分で決めてきました。父親が飛行機の整備士だったので最初は同じ道を考えたこともありましたが、高校2年の時に機械と向き合い続けるより「人と繋がる仕事がしたい」と思い、大好きな料理の道へ進むことを決めたんです。通っていた成田高校は周囲のほとんどが大学進学を目指す環境で、先生からも反対されましたが、「自分はここへ行く」と意志を貫いて東京の調理師専門学校へ進みました。

――上京後は、東京で本格的に修行を積まれたのですね。
はい、かつて西麻布や広尾に店を構えていた(現在は、外苑前駅近くに移転)高級イタリアン『リストランテ アクアパッツァ』で8年間働きました。同期11人のうち1週間で半数近くが辞めてしまうような、当時は本当に過酷な環境でしたね。朝早くから深夜まで働き、週1回の休みという激しい日々でしたが、最初の3年間はホールも経験させてもらい、有名なお客様や刺激的な出会いがたくさんあって毎日が面白かったのです。厳しく鍛えられたからこそ、自分に自信をつけて独立することができたと思っています。

――その後、地元である成田に戻ったきっかけは何だったのでしょうか?
東京は10代から20代前半の自分にとって刺激的で圧倒される街でしたが、ある日、恵比寿の駅の階段を降りている時に「ここは住む場所じゃないな」とふと感じたんです。それから地元・成田で自分の店を持つ前提で帰郷し、1年後に独立しました。

――成田で独立してからの道のりは順風満帆でしたか?
いえ、最初は全くうまくいきませんでした(笑)。今から20年前、都内と同じクオリティのコース料理や、生ハムの量り売り・オリーブオイルを販売するデリ&バルを半額近い価格で提供したのですが、当時はまだ時代が早すぎてメニューを見て首をかしげて帰られてしまうお客様も多かったんです。ワインも月に1本空くかどうかという時期が続きました。それでも試行錯誤を重ね、アラカルトを取り入れたりワイン会を開いたりするうちに、最後は「お任せで」と言って通ってくださる固有のファンの方々に支えられるお店になりました。

99%が輸入の羊肉文化に挑む。
オーナー制と福祉が支える持続可能なビジネスモデル

――レストランの経営を経て、なぜまったく新しい「羊の飼育」や「障害者福祉」という事業に舵を切られたのでしょうか?
もともとは10年以上前に「自分の店で使う分の羊肉を自分たちで生産できたら面白いな」と考えたのが始まりでした。日本で消費される羊肉の99%以上は輸入に頼っており、国内には2万4千頭ほどしかいません。明治時代には羊毛目的で100万頭ほどいたのですが、化学繊維の普及や、一度に多く産む豚や牛といった生産性の高い畜産へシフトしたことで羊は急速に減り、「臭い」というイメージもついて需要が落ちてしまいました。
でも、一部の地域には昔から羊を食べる文化が残っています。供給元が地元にない、空洞化した食文化を見て「もったいない、だったら自分たちで元から作ってしまおう」と思ったのがきっかけです。

――国産の羊肉は非常に珍しいですが、どのように差別化を図っているのですか?
国産の「ラム(生後1年未満)」は美味しいものの、輸入物との見た目の違いがわかりにくく、価格差を納得してもらうのが難しいです。だから僕たちはもっと育てて「マトン(成羊)」にしようと思っています。しっかり育てたマトンは決して臭くなく、味が濃厚で本当に美味しい。見た目でも食べた瞬間でもはっきりと違いがわかるものを提供したいのです。
現在、日本人一人あたりの年間羊肉消費量はわずか200~250g程度しかありません。これは逆に言えば、99%の伸びしろがある巨大なマーケットだと捉えています。

――畜産事業を立ち上げるにあたって、資金面や体制作りのハードルも高かったのではないでしょうか?
羊が肉になるまでは1年ほどかかりますから、初期は持ち出しばかりで非常に大変です。補助金の不採択をきっかけに「どうすれば今実現できるか」と考え、導入したのが「オーナー制度」でした。支援者に羊のオーナーになっていただき、毎月預託料を預かって餌代に充てる代わりに、生まれた子羊はオーナーさんの所有とし、最終的に僕たちの会社が相場より高い価格で買い取る仕組みを作りました。現在、北海道から導入した羊を含めて約40頭を飼育していますが、200~300頭の規模になれば牧場としての存在感や与える印象もガラリと変わります。

――福祉事業(就労継続支援B型)との連携も大きな特徴ですね。
はい。妻(ソムリエ)の甥っ子が自閉症だったこともあり、以前から福祉に関心がありました。社名の『ひととして』も妻の発案で、「人間として今現在何が必要か何が出来るかを考えながらビジネスや生活をしていこう」という想いが込められています。
立ち上げたばかりで大赤字になり本当に苦しいのですが、羊の牧場という環境は、精神的に病んでしまった方や障害のある利用者さんにとても良い効果をもたらすことが分かってきました。
現在は昼にカレー店を営業したり、JALの空港社員向けコンビニへお惣菜を納品したりと作業の幅も広がり、1年で12名の利用者さんが通ってくれるまでになりました。

愛する成田だからこそ抱く「もったいなさ」。
地域資源を巡らせる「ヒツジ〜ランド」の夢

――佐藤さんのお話を伺っていると、成田という地域に対する強い情熱と、同時にどこかもどかしさのようなものも感じられます。成田の現状をどのように見つめていますか?
成田市には、成田空港という存在があり、観光では「うなぎ」という強力なコンテンツがある。けれど、その恵まれた環境や甘い蜜(地域資源・恩恵)があるがゆえに、それ以外の範囲や新しい産業作りに目が向けられていない現状が、すごく「もったいない」と感じています。

――「甘い蜜」の範囲外にあるポテンシャルですね。
そうです。「空港が大きくなれば何でも良くなる」という幻想に包まれていますが、実際に暮らしている大多数の人たちの足元の生活やビジネスをどうアップデートしていくか、という議論が深まっていません。空港利権に依存するのではなく、自分たちの手で新しい産業や名産を生み出すべきです。成田には素晴らしい自然も食文化もあるのだから、周りの市町村も巻き込んだ広域で「羊」を育て、地域の名産に育て上げていきたいと考えています。年間1,000頭規模を生産・ブランディングできれば、地域の飲食店みんなでプロモーションできるようになります。

――耕作放棄地の活用や、将来的なビジョンについても教えてください。
高齢化などで増えている農業放棄地も、羊を放牧することで草刈りの手間を減らし土地を有効活用できます。今後は羊のプロデュースやメンテナンスを整え、千葉県内で羊を育てる仲間を増やすフランチャイズ化も構想しています。そして最終的な夢は、「ヒツジ〜ランド」のような体験型のテーマパーク・フィールドを作ることです。

――「ヒツジ〜ランド」ですか! とてもワクワクする構想ですね。
単なる遊園地ではなく、木更津市の農業・食・アートを軸とした複合施設『KURKKU FIELDS(クルックフィールズ)』のように、羊牧場を中心にワイン用のブドウ農家、クラフトビール醸造家、電動バイクを走らせたい人など、「やってみたい」という夢を持った人たちが集まる場にしたいんです。かつてこの地にあった御料牧場は、門もなく地域の人々が自由に出入りし、桜の季節にはみんなでジンギスカンを囲んで楽しんでいたと聞きます。そんな風に、多様な人が一日中楽しめるフィールドを官民みんなの共創で再現できたら最高ですね。

事業の数字を超えた「遊び心」が人を引き寄せる。
開かれたプラットフォームで生まれる共創

――そうした大きな構想を実現していくにあたり、これからどのような仲間やパートナーと一緒に働きたい、あるいは連携していきたいと考えていますか?
一言で言えば「遊び心がある人」ですね。単にビジネスの規模や効率だけで損得を計算するのではなく、「この取り組み、なんか面白そうだな!」と素直にワクワクしてくれる人と一緒にやっていきたいです。

――佐藤さんの周囲には、すでに素敵な協力者の方々が集まっているようですね。
本当にありがたいことです。地元企業の株式会社ナリコーの加瀬敏夫社長も、僕たちの熱意や勘違い(笑)から興味を持ってくださり、資材や牧場用地の提供や重機での整備など個人投資家のように、無償で手厚く協力してくださっています。
僕たちは常にオープンなスタンスで「羊をやっています、面白いことをやっています」と言い続けています。「自分たちだけで抱え込まず、乗っかりたい人が来たら『どうぞやってください』と渡してあげる」。そうやって色々な強みを持った人たちが集まり、また新しい繋がりが生まれるプラットフォームになっていけばいいなと思っています。

――障害者雇用や企業連携の可能性についてはいかがでしょうか?
首都圏の企業などで、誠意を持って「福祉のためになる形」で協力し合えるのであれば、喜んで連携したいですね。福祉、畜産、畑、飲食店、これらは一見バラバラに見えますが、すべて密接に繋がっています。自分たちの活動を通して「人間として何が必要か」を問い直し、多様な人たちが生き生きと働ける価値を地域に広げていきたいです。

経営者ではない、
佐藤達也さんのライフスタイル

――忙しい毎日を過ごしている佐藤さんですが、普段、休みの日はどのようにしていますか?
実は、今は明確な休みというのはほとんどありません(笑)。でも、牧場に行って羊たちの世話をしたり、地域の人たちとお酒を飲みながら語り合ったりする時間自体がプライベートのようなものです。「仕事だからやらなきゃ」と思ってやっていないので、オンとオフの境目が自然と溶け込んでいる感覚ですね。

――佐藤さんが感じる、成田という街の暮らしやすさや魅力はどこにありますか?
成田は「空港の街」という都市的なイメージが強いですが、実は住宅街の坂を少し下りると、一面の田園風景や深い森が広がっているんです。都会的な便利さがありながら、豊かな自然に囲まれて暮らせるバランスの良さは唯一無二だと思います。公津の杜周辺の自然や、印旛沼の美しい風景、秋に開催される『NARITA花火大会in印旛沼』など、日常の中に魅力的なスポットがたくさんあります。

――最後に、この記事を読んでいる読者や成田に関心を持つ方へメッセージをお願いします。
僕たちが取り組んでいることは、今はまだ理解されにくい部分もあるかもしれませんが、必ず将来の地域のためになると信じて進んでいます。成田にはまだまだ活かしきれていない素晴らしいポテンシャルがたくさん眠っています。ぜひ一度お店に遊びに来ていただいて、美味しい羊肉を食べながら、成田の未来について一緒に楽しくお話ししましょう!


佐藤達也氏について

株式会社ひととして 代表取締役。千葉県成田市出身。成田高校卒業後、自らの意志で料理の道を志し都内の調理専門学校へ進学。東京の名門イタリアン『リストランテ アクアパッツァ』で8年間の過酷な修行を経て、地元・成田へ帰郷。約20年前に自身のレストランをオープンし、根強いファンに愛される店へと育て上げた。
その後、消費量の99%を輸入に頼る羊肉市場や、見過ごされている地域資源に「もったいなさ」を感じ、自社での羊の飼育を決意。さらに障害者福祉(就労継続支援B型)を組み合わせた独自の循環型事業を立ち上げる。
現在は、社名に込めた「ひととして何ができるか」を体現しながら、食・農・福祉・遊びが融合する体験型テーマパーク「ヒツジ〜ランド」の実現に向け、多様な人が集う地域のプラットフォーム作りに奔走している。

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