茨城県神栖市で、養豚から加工・直売、さらには飲食店経営までを一貫して手がける株式会社イイツカファーム。3代目代表の飯塚祐市さんは、かつて東京でバンドのドラマーを目指していた異色の経歴を持つ。家業の危機で帰郷し、市場の荒波にもまれる中で掴み取ったのは「自ら価値を決め、人と地域を繋ぐ」という揺るぎない覚悟であった。伝統的な養豚業をアップデートし、地域に新たな賑わいを生み出すリーダーの歩みと未来像に迫る。

「東京で音楽を」から一転。
反骨心が生んだ「自分で価格を決める」養豚への覚悟
――飯塚さんの幼少期や学生時代のお話から教えてください。神栖市(旧波崎町)は、当時どのような街だったのでしょうか。
飯塚 祐市さん(以下、敬称略)
本当にのどかな田舎町でしたね。この地域は昔から漁業や農業が盛んな土地で、畜産は多くありませんでした。養豚も、小さな農家がぽつぽつある程度でしたね。子どもの頃はとにかく外で遊ぶのが大好きで、ずっと友達と外を走り回っていました。小学校の時はサッカーや野球をやっていたのですが、ちょうどJリーグが発足して盛り上がっていた時期だったこともあって、小中学校時代はすっかりサッカーに夢中になりました。鹿島アントラーズの練習場がある鹿島スタジアムの隣で練習をしたりして、地元のサッカー人口もすごく多かったです。
――高校時代はどのように過ごされていたのですか。
高校時代は部活には入らず、友達の家に集まったり、バイクに乗って銚子方面までツーリングに行ったりと、とにかく仲間とずっと遊んでいました。その頃から音楽が好きでバンドを組んでドラムを叩いていたんです。高校を卒業するときに「東京に出て音楽をやりたい」と親に言ったら、「バカ言ってるんじゃない」と一蹴されまして(笑)。
それで「東京の専門学校に行く」と言えば音楽も続けられると思って、蒲田にある『日本工学院専門学校』の情報処理学科に進学しました。
――そこから家業である養豚業に戻られたきっかけは何だったのでしょうか。
専門学校を卒業した後は柏に住みながら、東京でバイク便のライダーをやっていました。当時は実家の養豚農家(当時は『飯塚畜産』)を継ぐなんて全然考えていなくて、東京の近くで気ままに暮らすつもりでした。ところが21歳の時、家族4人でやっていた家業で、母が激しい労働のために椎間板ヘルニアになってしまって…。「働き手が足りないから今すぐ戻ってきてくれ」と連絡がきて、正直その時は「うわー、ついに来ちゃったか」という気持ちでしたね(笑)。
――呼び戻される形で戻られた家業。どこで「本気で養豚をやろう」という覚悟が決まったのでしょうか。
戻って数年経った20代半ば頃ですね。当時、業者やエサ屋さんから「こういうエサで育てれば高値で買い取るスーパーがある」と提案されたのです。うちには出荷用の豚を育てる豚舎が2棟あったので、まずは1棟だけ、指定のエサで育て始めました。それが軌道に乗ると、先方から『もっと量を増やせないか』と言われて2棟とも切り替え、指定通りの高品質な豚を育てていたのですが、ある日突然、買い手側の担当者が変わって「国産から輸入肉メインに切り替えるから、プラスの買い取り価格は無しにしてくれ」と言われたんですよ。エサ代も上がっていて、同じように手間をかけて良い豚を育てているのに、相手の都合ひとつで価値を叩き落とされる。「買い手に振り回されるのはもう嫌だ。自分で価格を決められるビジネスをやろう」と猛烈な反骨心が湧き上がったんです。そこから直売や自社加工への挑戦が始まり、覚悟が完全に固まりました。

「プライドを捨てて丸ごと変わる」。
神栖の地の利と自社一貫が生む絶対的価値
――自分で価格を決めるために自社での直売や飲食店経営に踏み出されたのですね。養豚という生産現場において、神栖市波崎という土地にはどのような「地の利」があるのでしょうか。
神栖市は、養豚をやっている事業者がうちを含めて現在2社しかありません。周辺の銚子や旭、鉾田などは養豚が密集しているため、近隣で家畜の病気が発生するとすぐに感染が広がるリスクがあるのですが、神栖は周りに同業がほぼないため、病気のリスクが圧倒的に低いです。
さらに、同じ神栖市内の鹿島港周辺に、飼料工場が10か所以上集まる全国有数の飼料団地があるため、他の地域に比べてエサの運賃が格段に安く済むという大きなメリットもあります。また、昭和40年代から祖父の代で創業しているため、地域住民の方々の理解もあり、匂いなどのトラブルが少ないのも恵まれていますね。
――単に豚を育てるだけでなく、加工から直売、飲食店経営まで手掛けられていますが、自社一貫体制の強みを教えてください。
一番の強みは「自分が育てた肉の特性をすべて把握した上で、最高のお肉を提供できる」点です。出荷した豚肉の中から自ら足を運んで最も良い状態のものを選び抜き、直売所や自社レストラン『じごいもの豚』へ持ってきています。問屋さんに部位ごとのブロックへさばいてもらい、自社で丁寧にスライスや調理を行っています。「しゃぶしゃぶ御膳」や「ローストポーク丼定食」が人気なのですが、ポン酢や塩だれ、ごまだれ、粗挽きハンバーグなども、業者の既製品をそのまま使うのではなく、余計なものはなるべく使わずに自分たちで手作りしています。



――2014年にオープンされた飲食店ですが、コロナ禍では大きな危機があったと伺いました。どのように乗り越えられたのでしょうか。
オープン当初は食べ放題や大型宴会をメインにしていました。2018年に法人化して『株式会社イイツカファーム』を設立し、自分が代表取締役に就きました。これからという時にコロナ禍が来て、宴会需要が完全に消失して大赤字になりました。「自分が始めた事業をこのまま終わらせたくない」と思っている時に、元々知り合いだった経営コンサルタントに相談したのです。その方から「まず基盤を全部見直しましょう」と提案され、僕はこれまでの自分のやり方やプライドを一切捨てて「全部言いなりになろう」と決めました。食べ放題をやめ、メニューの原価計算を数字ベースで徹底的に行い、リピートしてもらえる仕組みや看板・メニュー表を整えた結果、見事に黒字化を達成することができました。
孤独をなくし、地域を温かく繋ぐツールへ。
AI・マニュアル活用で進める持続可能な農業
――危機を乗り越えて進化を続けるイイツカファームですが、飯塚さんが描くこれからの事業構想や未来への想いを教えてください。
コロナ禍を経て、人と人との交流が減り、孤独を感じる人が増えたように感じています。人生において人との繋がりがなくなるのって、すごく寂しいことですよね。だからこそ、僕たちが作る豚肉を「人が繋がるためのツール」にしたいと考えています。レストランが地域の人々や家族、PTAの集まりなどで笑顔になれる場になれば嬉しいですし、通販やギフトで届いた豚肉を囲んで自宅でみんなが集まるきっかけになってほしい。豚肉そのものは極端にいえば「おまけ」で、本質は「人と地域を温かく繋ぐこと」です。

――地域におけるイイツカファームの役割についてはいかがでしょうか。
神栖に観光で訪れた方々が「あそこの豚肉料理が美味しいらしいから行ってみよう」と足を運んでくれて、地域全体が活性化するような拠点店舗になりたいですね。実際、SNSやLINEの登録者を見ると地域外からのファンも多く、女性のお客様もたくさん来てくださっています。
――一次産業の現場において、人手不足や持続可能性といった課題との向き合い方についてはどうですか。
徹底的なマニュアル化と効率化を進めています。養豚の現場では、自分が日々のルーティン作業に入らないことを前提にした配置を作りました。作業工程を一度すべて文章化・マニュアル化し、現在は特定技能などの外国人人材にお願いしています。自動翻訳を活用すれば意思疎通もスムーズですし、ハングリー精神を持って真面目に働いてくれています。単純な力仕事やルーティンは機械に任せ、事務作業などはAIに任せる。AIも活用してできる限り効率化し、人間は「どうすればより品質が良くなるか」「どうすれば喜んでもらえるか」を考えることに集中できる環境を作ることが、これからの農業には不可欠だと感じています。
働く幸せは「誰かを喜ばせること」。
同じ目標を追い、喜びを分かち合えるチームへ
――現在、レストランの体制強化に伴い正社員の募集を行っているとのことですが、どのような人物像を求めていますか。
まずは準備されたマニュアルや基本方針をしっかりと覚えて、愚直に実行できることが大前提です。その上で、指示されたことだけをやるのではなく、「もっとこうすればお客様が喜ぶのでは」と自分で考えてプラスアルファの行動が取れる人ですね。自発的に「養豚の現場も見学させてください!」と言ってくるような食や農業への好奇心がある人なら、大歓迎で何でも教えますよ。

――これから新しく入社する方や、地域の若者に対して「働く」ことの意味をどのように伝えていきたいですか。
一番伝えたいのは「何のために働くのか」という本質的な部分です。「お金が欲しいから働く」というのはよくある理由ですが、そこをもう少し深掘りして考えてほしいです。仕事というのは本来、誰かに価値を提供して喜んでもらう「社会貢献」ですよね。人間って、赤ちゃんの頃は「与えられること」が幸せですが、成長すると「誰かに何かを与えて喜んでもらうこと」に一番の幸せを感じるようになります。
――与えることこそが幸せ、素敵な考え方ですね。
そうなんです。自分の作ったものや提供したサービスで、誰かが笑顔になって喜んでくれる。その「誰かのために」という視点を持つだけで、仕事の景色ややりがいはガラリと変わります。イイツカファームで働く仲間とは、ただ作業をこなす関係ではなく、同じ目標に向かって一緒に走り、目標を達成した時に「やったね!」と一緒に喜びを分かち合えるチームでありたいですね。
地元の友達と囲むお酒とBBQ。
ラグジュアリーなキャンプ&サウナで解き放つ素顔
――普段の情熱的なお仕事ぶりから一転して、オフの日の過ごし方についても教えてください。
休みの日は地元の友達と集まってお酒を飲んだりバーベキューをすることが多いですね。小学校や中学校からの幼馴染が今でも神栖にたくさん残っていて、気兼ねなく集まれる仲間がいるのはこの街の素晴らしいところだなと思います。
――趣味やリフレッシュ方法はありますか。
最近はキャンプとサウナにハマっています。キャンプは茨城や千葉、山梨方面まで出かけます。特にお気に入りなのが茨城県鉾田市にある『HINUMA BASE(ひぬまベース)』というキャンプ場です。テントは自分たちで持って行って張るので、キャンプらしさはしっかり味わえます。そのうえで、隣の施設の温泉やサウナに入れて、夕食と朝食まで付いています。キャンプ感を楽しみながら、少しラグジュアリーな体験もできるので、ファミリーキャンプには最高ですね。サウナも大好きで、茨城県水戸市にある『SPA&ごはん ゆるうむ』という施設の7~8段ある名物サウナに家族で行って、外気浴でリフレッシュするのが最高の休日です。

――本日は貴重なお話をありがとうございました!
飯塚 祐市氏について

株式会社イイツカファーム 代表取締役。茨城県神栖市出身。昭和40年代から続く家業の養豚農家に生まれ、日本工学院専門学校卒業後は柏に住みながら東京でバイク便のライダーを経験。バンドのドラマーを目指していたが、家業の危機で21歳の時に帰郷し、直売や自社加工に取り組む。市場の荒波にもまれながらも20代半ば頃から直売や自社加工に取り組み、2018年に株式会社イイツカファームを設立し、3代目の代表取締役に就任。
現在は養豚から加工・直売、飲食店経営までを手がけ、豚肉を通じて人と地域を繋ぐ取り組みを進めている。
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