神奈川県秦野市で自然の中を駆け回って育った少年は、やがて東京に憧れて上京し、芸能マネジメントの世界へ。10年間の独立生活の中で地方を巡るうち、いつしか東京の暮らしに違和感を覚えるようになっていきました。セミナーのキャッチフレーズに導かれ三重県の山奥へ移住し、修行ゼロのまま飲食店を任され、鹿肉料理と出会う。そして、ご縁に導かれるように千葉県香取市・佐原へ——。
「出汁処 まにまに」店主・中村さんの歩みは、計画ではなく、すべてがご縁の積み重ねでした。コロナ禍を耐え抜き、今や観光客と地元客が混ざり合う場所として愛される一軒。その先にある中村さんの答えとは。
東京に憧れた少年が、なぜ「修行ゼロ」で出汁の道へ?
── この度は取材を受けていただき、ありがとうございます。まずは幼少期の思い出からお聞かせください。
私は神奈川県の藤沢市で生まれて、父の仕事の都合で幼稚園の頃に秦野市に引っ越しました。秦野は丹沢山系のふもとで、自然が本当に豊かなところです。虫を捕まえたり、ザリガニを釣ったり、山に登ったり。時間があれば暗くなるまでずっと外にいるような、落ち着きのない子供でしたね。
── 高校卒業後、東京で一人暮らしを始められたんですよね。
そうです。東京に行ったのは、本当に「憧れ」でした。秦野から東京までは電車で1時間くらいで行けてしまう距離だったので、行ってみると「あ、いいな」と思ってしまって。高校を卒業してからしばらくは秦野から東京に通っていたんですが、通勤に2時間弱かかるのも大変で、東京での一人暮らしを始めました。
最初は家電量販店でのお仕事から始めました。その後、プログラムの会社に2年勤めて、それから同じグループ企業のIT関連の営業部署に3年いました。実はプログラムを書くのは自分には向いていなくて、会社に相談したところ、「営業関連の部署はどうだ?」と言われて。お客様のお困りごとを解決するためのシステム提案という役割は凄く楽しかったです。

── 順調にキャリアを重ねていた中で、なぜ独立を選ばれたんですか?
知り合いが芸能関係の会社をやっていて、「一緒にやらないか」と誘われたんです。もともと自分で何か商売をしたいという気持ちがあったので一緒に始めました。2年後に完全に独立。10年間、新しい所属タレントを集めたり、タレントのマネジメントをやっていました。
その10年の間、仕事で地方に行くことが多かったんです。例えば大阪に行ったら次の日を休みにして奈良を散策して帰ってくる、というのを月に3回くらいやっていました。色々な地方で出会う人と話していると、自分にとって東京は生活が豊かじゃない感じがしてきたんです。家賃やコストを払うために仕事をしているんじゃないか、という思いが強くなってきて。それが、田舎暮らしに憧れた経緯です。
キャッチコピーで移住を決めた男が、三重の秘境で「奇跡の店」に出会うまで
── 三重県に行く前に、埼玉県の志木市に住んでいたんですよね。
はい。東京から志木に引っ越したのは、田舎暮らしの練習のためです。いきなりド田舎に行くことは不安だったので。駅から30分くらい歩くと田んぼや畑が広がる地域があって、そこの平屋を借りて2年くらい住んでいました。
── そこから三重県へ。きっかけは何だったんですか?
本当に田舎に住みたいと思って、たまたま三重県の大台町がやっている移住促進のセミナーがあったんです。「伊勢神宮に注ぐ宮川の上流の街」というキャッチコピーが書いてあって、「そんな素晴らしいところがあるなら、話を聞きに行ってみたい」と思って行ってみました。そしたら、セミナーの会場が、自分が後で任せてもらうことになったお店だったんです。
その年の3月に最初に訪れて、7月にもう一度行って契約し、8月に移住しました。家賃が畑込みで1万3000円。家と同じくらいの広さの畑がついていて、横と上のフェンスは鹿とイノシシと猿よけでした。住民の半分は薪でお風呂を沸かしていて、平均年齢は70くらい。本当に秘境でしたね。
飲食店をやっているおばあちゃんから「お店やってみない?」と言われて、芸能の仕事はスパッと辞めて、そのお店を任せてもらうことになりました。修行はしていません。おばあちゃんに教えてもらいながら料理を学んでいきました。
週末はおばあちゃんが出てきて、平日は一人でお店を運営して。鹿肉は自分で仕入れて、薄切りを焼いたり、鹿のステーキ、鹿やイノシシのしゃぶしゃぶをやっていました。鹿肉料理は今でも「小野川カレー」で使っています。
── 三重から佐原に来られた経緯を教えてください。
三重で飲食店を任されてやっていく中で、観光のお客さんが増えてきたので、値段設定を観光地っぽく少し上げたんです。そうしたら地元民のお客さんが来なくなってしまって。おばあちゃんは地元のコミュニティづくりにも関わりたい人だったので、地元民がいなくなるのは嫌だという思いがあったと思います。元々はおばあちゃんの場所でしたので返却することにしました。
次が決まっていない中で、どうしようかなと思っていたら、たまたま佐原で飲食店をやっている人から「よかったら働かない?」と声をかけてもらって。佐原は一回しか来たことがなかったんですが、街並みは知っていて、いい街だし、行ってみようかなと。
香取市に移住して半年は、地域のお店で雇ってもらっていたのですが「自分でお店をやりたい」という話を周りにしていたら、たまたま今の店舗が空いていると教えてもらって。それで2019年7月に「出汁処 まにまに」をオープンしました。

── 「出汁」というコンセプトはどう決まったんですか?
出汁自体はもともと好きだったんです。東京にいる頃から食べ歩きが好きで、和食を食べて日本酒を飲んでいると、基本の出汁の味が感じられるようになってきて。料理はあまりやったことがなかったので、1回やってみようかなと鰹節と昆布を買ってきて味噌汁を作ってみたら、「案外できるんだな」と。それで、出汁茶漬け屋として始めました。
でも、お茶漬けだけだとなかなかお客さんが増えなくて。三重にいた時に作った鹿肉のダムカレーを思い出して、目の前に川があったので「小野川カレー」を提供し始めました。そこから、自分でつくった味噌を使った豚ロースの味噌漬け焼き御膳や、塩麹を使った鶏ももの塩麹焼き御膳など、メニューを少しずつ増やしていきました。
開店翌年にコロナが始まって、本当に見通しが立たない状況でした。協力金などに助けられながら、自分の力でやっていけるようになったのは2023年頃。周りの飲食店の方々と集い、話し合えたことで本当に救われていました。
観光客と地元民が「混ざり合う」カウンター。佐原の新しいゴール地点をつくる
── お店の理想の形はどんなものですか?
昼はほとんど観光の人が来てくれるので、今も本当にありがたいです。夜は地元の人と観光の人がお互いに楽しく話せる場所になっていくといいなと思っています。今も割とそういう感じですが、もうちょっと輪が広がっていけばいいですね。
── どうすれば混ざり合えると思いますか?
自分から観光の人に話しかけるようにしています。
「どこから来たんですか?」
そこから話を膨らませていって、隣に地元の人がいたら「この人は歩いてこのぐらいのところに住んでいるんですよ」みたいにつないで、こっちとこっちの会話が始まる。店主としてつなぎ役をやることが楽しいです。そこからワイワイ盛り上がっていくと本当に嬉しいです。
── 観光客にこの店を起点として、どんな1日を過ごしてほしいですか?
例えば、この街(佐原)で考えると、この辺の街並みには和物の雑貨屋さんや竹細工屋さん、お醤油屋さん、佃煮屋さんがあります。そういう和風の文化に触れて、日本っぽいものを好きになってもらいたいですね。自分自身も古いものや和風のものが好きなので、同じような人が増えたらいいなと思います。
── 地域との連携については、どう考えていますか?
地元の農産品、農家さんと協力して新しいメニューを作るなど、そういうことができたらいいなと思っています。このあたりは食材が本当に豊かで美味しいので、今後コラボレーションができると嬉しいです。

──出汁づくりをご自宅でも、とお話していた記憶があります。美味しい出汁のつくり方を教えてください。
一般的には昆布を水から入れて沸騰前に取り、そこで鰹節を入れて少ししてからとり出すと言われます。それを昆布を水から入れ、60度まで上げて温度を保ちながら、一時間後昆布を取り出して沸騰させて鰹節を入れると、濃厚なお出汁が取れます。
出汁を取るのは手間がかかりますが、一度取った出汁をペットボトルに入れて冷凍しておけば、しばらく持ちます。お店で体験した出汁の味を、ご自宅でも楽しんでもらえたら嬉しいですね。
一人で営む店だからこそ見えた、「心身が整う」接客哲学
── 観光客に届けたい思いはどんなものですか?
心身ともに健康であってほしい、というのが根っこにあります。食べ物が悪いと、心の方も悪くなる気がしていて。自分も以前は米をあまり食べず、パンや麺類、肉に偏っていたんですが、風邪をひきやすかったり、毎年花粉症になったりしていました。今は自分で出汁を取ったものを食べていて、風邪をひきづらくなったし、花粉症も全く出ない。体温も多少上がった感じがします。うちに来て、ちょこちょこ食べてもらって、徐々に良くなってくれればいいなと思っています。
自分のお店ならではのものを出したいし、できるだけ体にいい食べ物がいいと思っています。自分が美味しいものを食べたいし、自分が食べるものを人にも食べてもらいたい。そのため出汁だけでなく、最近はクラフトコーラも無農薬国産のレモンを使って自家製コーラをつくっています。
2週間に1回の「嵐の湯」。一人で居酒屋に通い続けて見つけた「居場所」
── お休みの日はどう過ごしていますか?
2週間に1回くらい、多古町の「嵐の湯」という施設に行きます。行ったついでに、この辺りを少し観光したりします。今の時期ならアヤメ、少し前だとツツジや藤の花を見ながら散策したり。夜はだいたいこの辺の居酒屋さんに一人で行くことが多いですね。最初は友達がいなかったので一人で行って、隣の人と話して、少しずつ広げていく感じでした。
── 地方に住みたいと思われたところ、改めてどこに魅力を感じていますか?
地方の良さは、最終的には人だと思います。自分もそうでしたが、田舎の環境がいいから住みたい、という理由だけで移住すると大変だと思います。周りとの関係をうまく図る努力をしていかないと、よそから来た人が住んでいる、という見られ方になってしまう。地元の人と仲良くなっていくと自分の居場所がさらに良くなっていく感覚を覚えられると思います。
地元の祭りに参加している人たちは、小さい頃から鍛えられているので、若いのにちゃんとお酌をしたり、気遣いがしっかりできています。自分は東京に住んでいた頃は、そういう気遣いは最低限でいいと思っていたんですが、人としては、人のことを気遣える人の方がいい。地元の人と関わる努力をしていくことは、いい修行にもなりますし、自分も磨けると考えています。
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